この記事を今、書こうか書くまいか迷ったのですが、(ご家族の悲しみがまだまだ癒えていないのに)、私にとっても、大好きだった従兄弟で、とても悲しい事だったので、彼のご冥福をお祈りする為にも、そして、こんな私の拙ブログをいつも楽しみにしてくれて、応援してくれていた彼に届く様に、追悼の意味を込めて、記事を書く事にしました。
2014年、今年の、イギリス時間の元日の夜。
私の従姉妹のMちゃんから、日本時間の2日の早朝に、Mちゃんの兄である、従兄弟のM君の突然の訃報を伝えるのメールが届きました。
私は、驚きと動揺のあまり、そばにいたエイドリアンに「大変、飛行機、飛行機!」ととっさに叫んでいましたが、あまりの事に混乱し、無意識にただ席を立ったのですが、数秒後に「えっ!? 亡くなったんだよね?」とやっと状況を把握して、その場に伏して号泣していました。
「え!? なんで、なんで?」 だって、その数時間前に、彼からの新年の挨拶状がFB上にアップしていて、もちろん私もそれに対して「今年もよろしくね〜♪」ってコメントを返したばかりだったのに。。。。
ただただ、あり得ない気持ちでいっぱいでした。
本当に、突然過ぎる別れでした。
M君は、私より1歳程年上でしたが、身体に先天性の障害がありました。
私達は、実家が近かったので、小さい頃は、しょっちゅう一緒に遊んだ、仲良しでした。
少年以降は、ほとんど車いす生活を強いられていたのですが、持ち前の明るさで、親と離れて養護学校に入ってからも、淋しさをこらえて頑張っていました。
彼はいつもニコニコしていて、そして、本当に暖かい心で廻りの人間を包み込んでくれました。彼といると、誰もが、心が洗われたような純粋な気持ちになり、そして、不思議ととても安心した気持ちになるのです。
ですので、一度でも彼に会った人は、その仏様のように優しい(
妹のMちゃんもまた、マリアさまのような優しさを持った女性なのですが)M君のファンになってしまうので、彼を慕う人達は老若男女問わず、本当に沢山いました。
そして、彼が小学校の時に書いたウサギの絵が上野の美術館に出品されたのがきっかけで、あれよあれよと、絵の腕前を上げてゆき、障害がありながらも彼の努力と情熱とで、いつの間にか、青年になる頃には、立派な画家になってしまったのです!
M君の描く作品は、その力強いタッチとは裏腹に、どれもが、そこにあって、見ているだけでほっとする、母の愛に包まれているような暖かみのある作品でした。彼の性格がそのまま絵に現れていたような作品でした。
その後は、アトリエをもち、沢山の作品を描きまくり、何度も個展を開き、地元でも、あちこちで彼の作品を目にする様になりました。
我が実家の義兄のいる家にも、私の両親が購入した沢山の彼の絵が飾られています。
上野の美術館には毎年の様に作品を出展していましたし、町のシンボルの滝を描いた絵は切手にもなりました。
20年ほど前には、北京から国賓として招かれ、あちらで個展をした事もありました。
才能のある彼は、もうそれだけではとどまらず、画集はもちろんですが、彼の生い立ちを綴った書物や招かれた中国について書いた書物なども出版し、亡くなる前まで出筆を頼まれたりと文化人としても活躍していました。
私の生まれた地元の町では、知らない人がいないぐらいに、有名人でした。
本当に、M君は、彼の両親にはもちろん、私達、親戚一同の自慢でした。
ただ、さすがに年齢と共に、身体の方もなかなか絵を描く体力が無くなり、ここ数年はほとんど1日中パソコンの前で過ごす日々でした。
それでも、もちろん、才能豊かな彼ですから今度は、パソコンを使って絵を描きつづけていました。
(*数年前にM君が、パソコンで描いた3DCGの絵。ご家族に許可を得て載せさせていただきました。 馬の絵は彼の一番好きな題材で、若い頃の彼の作品=馬と言うくらい、馬を描く事が大好きでした。)
ですので、数年前に私の父、姉に続き母を亡くした後に、私が今後の人生を前向きに、頑張って生きて行く為に何かを始めようと思って始めたこのブログは、気がつくと、いつの間にか、いつも、日本のパソコンの前にいるM君に向けて、彼に届ける為に(毎回、彼が見ていてくれると思って)書く様になっていました。
もちろん、女子のブログですから、彼にとっては全く興味のわかない内容も沢山あったに違いありません。でも、優しい彼は毎回ちゃんと読んでいてくれてて、そして、FBでも、記事をシェアしてくれたり、いつも応援していてくれました。
なので、日本の家族を失った私も、身内の彼がいてくれる事によって、家族に伝える様に、このブログを続けて来る事が出来たのです。
私の家族の亡き後は、私達が帰国する度、彼の家族の所有する、もと彼の絵の展示場の二階の広い住居空間を、使わせてもらっていました。
ですので、去年の10月の帰国の際にも、彼に会って一緒に笑ったばかりだったのに。
そして、別れる時は、それまでの年と同じ様に「M君、またね〜」って言って別れたのに。。。。。。もう会えないなんて、悲し過ぎます。
思い出すのは彼の、いつも私達を迎えてくれた優しい笑顔。
二人で冗談を言い合って笑った笑い声。
亡くなってからは、もう彼からの発信やコメントは来ないのは分かっていても、私はついついFBの彼のページに1日に何度も行ってしまい、彼の面影を辿ってしまっています。
今年の干支の馬の絵を描いた新年の挨拶の投稿を最後に、彼からのページは終わっています。
悲しくも、彼の描いた馬の絵が、彼の最後の作品となってしまいました。馬を描く事が大好きだった彼の最後の絵が馬年の馬だったのは、とても偶然とは思えない私です。
そして人気者の彼のページには私と同じ気持ちの友人達から、彼へのお礼の言葉やお悔やみのコメントが立ち上がっています。
皆さん、あまりにも急に逝ってしまった彼を悼んで、そして、とても残念がっています。
今でも、まだ、もしかしたら彼からの書き込みや「いいね!」を押してくれる事があるのではないかと、皆さんも、きっと、私と同じ気持ちでいる事でしょう。
毎年、日本に里帰りする度に、M君の甥達と遊ぶために、いつもM君ちに遊びに行ってたベンとトーマスも、M君には可愛がってもらったので、とても悲しんでいます。
そして、誰もが羨む程仲良しだったM君の家族である、彼の両親、Mちゃん、甥達の悲しみを考えると、どんなに辛く、悲しいだろうと、また、涙があふれてきてしまいます。
彼の、告別式には、(私は、残念ながら、新年の休暇中と言う事もあり、すべての手配が出来ず、泣く泣く帰国を断念せざるを得ませんでした。)それこそ、会場に入りきれない程沢山の方が、お別れに駆けつけてくれたそうです。
親戚の話だと、もう、町の役員さんクラスの盛大な告別式だったとの事でした。人気者の彼に相応しい、立派なお別れだったそうです。
M君、最後のお別れにいけなかった私を許してね。
天国では私の姉と両親と一緒に、穏やかに過ごして下さい。
そして、これからは、空の上からこのブログを見ていてね。
大好きだったM君、本当に本当に、数えきれない程の、優しさと勇気をありがとう。
どうか、安らかにお眠り下さい。。。。。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
いつもお読みいただきありがとうございます♪
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